カンダチメ史學手習

kandachime11の日本史関係のブログ。博物館などいろいろ。

史学科を受験するということ

今週のお題「受験」

 

史学科に進みたいと言った友人は、中学時代数人いた。しかし蓋を開けてみると、実際に進学したのは私ひとりだった。

 

世の中に、史学科卒というのはそう多くないのかもしれない。そういうわけで、悩める受験生のために、史学科を受験して4年を過ごした自分の思い出をつらつら書いていきたい。

 

でも、あなたがマジな受験生なら、こんな駄文を読んでいないで勉強するなり寝るなりするべきである。

 

 

史学科受験生へのふたつの批判

「勉強する内容は何でもいいから大学には行け」と、最高学府たる大学の本質を見誤っているのではないかという教育方針のもと育った私は、中学進学以来、唯一得意だった歴史を学ぶため、史学科に道を決めた。「大学には行け」と言っておきながら、「教師にはなるな」と言われていたので、当初は学者になるつもりだった。

だがやがて、そもそも自分の偏差値では史学科にいけないということに気づいた。というのも、興味のある高校生は是非調べていただきたいのだが、史学科は(医学部と違ってすごくお金になるわけでもないのに)ほぼ一定以上の偏差値の大学にしかない。ついでに言うと、私の故郷のような中途半端な田舎にもない。

資金的な都合で下宿できない上に、国公立志望に転換するには理系科目の準備が不足していた私は、もうどこかひっかかってくれと祈りながら受験生になった。

 

すると今度は、周囲から「史学科はやめとけ」と言われるようになった。この意見は主にふたつの勢力から出たのだが、まず多かったのは同じ文系でも経済学部や法学部の方が潰しがきくとか、文学部にしても英文学科とかの方がマシだとか、そういったタイプの意見である。これについては、正論かもしれないが、自分の興味のない学問を勉強しても仕方がないので聞こえないふりをした。

だが一方で、日本史の先生や史学科出身だった予備校の先生など、史学科の先達からの「歴史が得意な人が史学科に向くとは限らない」という意見は、非常に私を悩ませた。結論から言うと、確かに私の大学の史学科にも、高校まではセンター100%とか、歴検1級とか、歴史が得意でたまらなかったのに、3年目ぐらいでつまずいて、卒論やゼミで支障をきたす人が多かったので、これは正しい意見だと思う。

 

というわけで、まずはこの問題について少し思い出しつつ書いていきたい。

 

"実学重視"について

日本史が潰しが利かないというのは、ある意味真実だし、もし経済や英文学に興味があるなら、選択の幅を広げるのは大切だろう。

例えばあるひとつの大学の中で、偏差値が

文学部史学科 60

文学部英文学 60

経済学部経済学科 55

というところがあったとしたら、受験生としては一番偏差値が高い英文学科に食いつきたいと思うかもしれないが、はっきり言って大学を出てしまえば、一部の例外*1を除き、どこの大学を出たかしか問われないので、自分が一番興味のあるところに行くべきである。そもそも、似たような学部学科間の偏差値など、あっさりひっくり返ったりする。

 

しかし、例えば史学科に行ったからといって、ほかの文系に比べて特別就活に困ったとは思っていない。

確かに、就活の時、面接官は史学科と聞いて戸惑ったり、からかってきたりする。そもそもからかってくるような面接官など相手にしなければいいだけの話だが、相手がモノを知らないなら教えてやればいいだけのことで、恐れることはない。世の中にはよくわからない横文字の学科を卒業して就活する人もいるが、それに比べれば、何をやってきたか字面からなんとなくわかるだけでもマシである。

ただ、自分が何を研究したかとか、その説明ができないということでは困る(これはおそらく他の学部でも一緒だが、特に私学科のような少数派では死活問題になりうる)。これは、入学後考えればいい問題である(真面目に勉強していれば、たぶん4年後には何か話せる内容ができているはずである)。

 

むしろ、史学科や文学部の就職率が低い原因は、好き好んで史学科や文学部を選ぶ学生自身の性格や、「文学部だから就活はうまくいかない」という思い込み、あるいは妙なプライドからくる、「(史学科出身なのだから)こんな仕事は嫌だ」という先入観にあるように思う。

自分をPRする能力は、史学科にいても意識していれば身に着けられるし、史学科でも何でも、専門職に就ける人はそう多くない。これも、入学してからいくらでも考える時間がある問題である。

 

高校の歴史が得意な生徒≠優秀な史学科学生説

これは、史学科志望だと公言している高校生なら一度ぐらいは言われたことがあるのではないだろうかと思う(私は4回言われた)。

私自身はどうだったかというと、日本史の成績は悪くはなかったが、いわゆる神童クラスではなかった(特に経済史が苦手だった)ものの、大学ではそれなりだったと思っている。

周りを見ていて思ったのは、自分が暗記が得意で日本史の成績が良いと思うなら、史学科進学は手放しには勧められないという点だろうか。あと、文献史学以外*2近現代史は別として、古文・漢文ができないというのは黄色信号である(私はものすごく苦手だったので、入学してから相当苦労した)。

あと、近眼過ぎるのも問題である(このタイプは非常に多い)。大きくつまずくことはないかもしれないが、研究をしていけばやがて周辺領域の知識も必要になる。高校生のうちからその知識を涵養しろとは言わないが、必要になったときに、「いや、俺は××が専門だから〇〇のことは分からないし、"知る必要はない"」というマインドではいけない。

私の最終的な専門は中世文化史のある分野だったが、その周辺として宗教史*3、古代文化史、近世文化史、中世政治史などは一通り学ばざるを得なかったし、わけあって海外の歴史も多少は勉強した。普段は一緒に研究してくれる仲間もこれらについては全くの門外漢なので、本当にいちから自分でやらなければいけない分、苦労は多いが、必要な努力だったと思っている。

そもそも知に貪欲でないのならば、大学進学そのものお勧めできないが、意外とこういう発想の人は多い。

 

史学科に行かなくても歴史は学べる

さて、それでも運よくさる史学科に滑り込んだ私だったが、もともと風来坊のようなところがあった上に、閉鎖的な雰囲気の学科に嫌気がさし、4年間を通して、留学したり、他学部の学生に紛れたりして、色々なところを渡り歩いた。恩師がこういったことに好意的な人だったので良かったが、同じ学科の周囲にはあれこれ言われたり、あるいは心配されたりした。

 

そうした中で私が出会ったのは、歴史が好きだけど史学科を選ばなかった人たちだった。これは大学によりけりだが、多くの大学が他学部・他学科の講義の受講を認めているし、場合によっては副専攻などと言って、体系的に学ぶこともできる。この点に関して私は後悔していないが、こういう選択肢もあるのだなあと思ったし、悩んでいる受験生にはぜひ、史学科のある大学で、他学部の学生として学ぶということも検討してみてほしい。

ちなみに私も、自由度の高い大学だったので、他学部の講義をあれこれ受けたが、なぜか思わぬところで自分の研究とつながっていたりしたし、良かったと思う。

 

求めよ、さらば与えられん

自分では異端児のつもりだったが、意外と史学科という環境が自分に合っていたらしく、人前で発表する機会もあったし、卒業前には大学院進学を勧められたのだが、既に内定があった上に、経済的な問題もあって、私は大学院に進まなかった。

とはいえ、その時、大学院進学を勧めてくれた恩師とも相談したのだが、いつか進学しようかという計画はうっすら立てている。それは、がっつり通学かもしれないし、通信制かもしれない。

私は史学を仕事にしなかった。多くの史学科志望の人にとって、私の選択は期待外れかもしれない。しかし、ありがたいことに歴史学は一生付き合える趣味になりうる。趣味のために青春を無駄にするなと言われてしまいそうだが、ITエンジニアという今の仕事を支えるのも、余暇の歴史学への知的好奇心だったりする。

 

手放しに史学科を勧める気はさらさらないが、熱意があれば、歴史学はどこまでもそれを追求できる学問なので、お勧めである。

 

あと、履歴書に書くとき画数がめっちゃ少ないのでお勧めである。

 

2018年1月27日追記

この記事の最終章の題名は言わずもがな、聖書からの引用である。

ところで先日、この聖句について本職(?)クリスチャンの方の記事を読み、自分の理解が微妙に間違っている(というより通俗的な理解しかしていなかった)ことが分かった。

www.christiantoday.co.jp

この中で、マロこと横坂氏は

よくよく注意して読んでみると、求めれば与えられるとは書いてありますが、「何が」与えられるかは書いてありませんし、まして「求めたものが」与えられるとも書いてありません。「見つかります」も「開かれます」も、「何が」ということは書いてありません。

 と説明をしている。すなわち、聖書の神が、その人にとって真に必要なものを与えるのであって、それは必ずしもその人が望んでいるものとは限らない、というふうに私は解釈したのだが、信仰の話は別としても、確かに、望んでいたものを与えられた人と、そうでない人がいたというのは史学科や歴史学についても言えることである。

例えば、入学当初に抱いていたテーマと全く違うことを研究した人も多いし、私自身もそうだが、教師や学者を志していた人が全く違う道を選んだとか、そういう人も多い。

あるいは歴史学の研究上でも、他の多くの学問と同じように、自分の仮説と違うものが出てくることは多々ある。歴史学の場合、それが政治的に都合が悪いことだったりすると面倒なことになったりもするのだが、とにかくそういった側面もある。

あるいは研究を進めていく中で知り合った人脈が宝になる人もいるし、そういった想定外の相乗効果もある。

……というわけで、あえてこのタイトルはそのままにしておくことにしたい。

*1:各大学の医学部とか、中央大学法学部などその大学の看板学部とか、あとは日芸とかは、それそのものにブランド力がある。

*2:考古学や歴史地理学など。

*3:一概には言えないが、中世文化史の大部分が仏教やその思想と密接な関わりがある。そして仏教史をやろうとすると、だいたいやたら難しい漢文にぶつかる。