日記を書き始めるのはいつが良いか
22歳から日記を書き始めて、今年で3年目になる。
昔から日記に憧れていて、三日坊主を何度か繰り返していたが、倉富勇三郎日記の存在を知り、自分が生きた世界の空気感を日記に遺してみたいという幻想を抱いたのがきっかけだった。1月に書き始めた日記は、4月で一度途絶えたが、以後同年8月1日から少なくとも昨日まで、当日書けなかった分を別の日に書くなどすることも多々あるが、一応途切れずに続けている。
日記というのは、史料としても価値が高い。識字率が跳ね上がり、多くの媒体で多くの史料が残るこの現代に生まれた我々が遺す日記は、かつての日記ほどの史料的価値はないかもしれないが、同時代の人の心を後世に伝えるものとしては、十分にその意義があるものと思っている。
ところで、私は22歳で日記を書き始めたが、多くの先人たちはいつ頃日記を書き始めただろうかと気になった。
本腰を入れた調査はまたの機会として、今回はWikipediaに全面的に頼り、以下の条件に全て当てはまる日記に限定して、Excelを使いつつ調べた。
調査対象の日記
- Wikipedia日本語版「日記」#日本の主な日記に掲載されている日記
- 著者・日記がWikipediaにそれぞれ独立した記事を持つもの
- 日記の継続期間が、10年を超えるもの
- 著者の生没年・日記の開始/終了がある程度はっきりしているもの
- 日記文学(『とはずがたり』など)でないもの
その結果、貞信公記(藤原忠平), 御堂関白記(藤原道長), 権記(藤原行成), 小右記(藤原実資), 中右記(藤原宗忠), 台記(藤原頼長), 玉葉(九条兼実), 兵範記(平信範), 平戸記(平経高), 明月記(藤原定家), 花園天皇宸記(花園天皇), 言国卿記(山科言国), 園太暦(洞院公賢), 看聞日記(伏見宮貞成親王), 宣胤卿記(中御門宣胤), 実隆公記(三條西実隆), 上井覚兼日記(上井覚兼), 言継卿記(山科言継), 言経卿記(山科言経), 本光国師日記(以心祟伝), 鸚鵡籠中記(朝日重章), 断腸亭日乗(永井荷風), 入江相政日記(入江相政)の、23の日記が当てはまった。
日記は20代ぐらいがベストらしい
結果だが、機械的に平均を取ると26.1歳になった。最年少が花園天皇宸記の13歳、最年長が平戸記の47歳である。
ただ、例えば看聞日記が44歳からの日記だったとはいえ、いくら元服が40歳だったからといって、貞成親王がその歳まで日記の類を一切書かなかったとは考えづらいし、今回取り上げた日記は時代の古いものが多いので、散逸している可能性があることを考えると、おそらくもう少し平均は下がるはずである。
とはいえ、平均が20代であるというのは正直意外な結果であった。つまりそれは、多くの日記が元服後書かれたものということになるわけで、ある特定の役職についたから書き始めたという者も多くあろうとは思う*1が、とにかく遅いという印象を受けた。だが、一家の主になるにはまだ早いわけで、社会的ステータスの変化と、日記の書き始めというのは必ずしも一致しないのではないか、というのが今のところの結論である。
勿論、早い時期に書いた日記は皆処分されてしまっただけかもしれないが。
ところで、先ほどの倉富勇三郎日記は、倉富が66歳の時から始まった日記である。彼は長寿の人で、94年生きたのだが、日記界で言うとかなり遅咲きの部類かもしれない。
日記の書き終わりと余命
小右記、兵範記、花園天皇宸記を例外として、日記の書き終わりからの余命は10年を下回る(多くの場合1年程度である)。台記などの例もあるが、寿命が原因で筆が執れない、ということもあるのだろう。
退任直前で没した入江相政の例もあるが、長く日記を書いていると、たとえ第一線から離れても、そう簡単にはやめられないらしい。
日記と年齢から見えること
大人と子供では、見える世界が違う。
子供の視点というのが欠落しやすいというのは、何も歴史学に限った話ではないが、日記においても、子供の視点というのはほぼ欠落している、というのは意識する必要があるだろう。それ以前に、文字が書けない人間の視点は大いに欠落しているのだが。
また個人的なところで言うと、日記を書き終える時、死が近い、というのは恐ろしい話である。
*1:この辺りはもう少し調査が必要だろう。